明治四十年、生きてたら百十一歳。山口県に生まれるんですけど、お父さんが軍医なんですね。中原家の長男ということで弟に比べたら違う扱いをされていたし、自分もそういう気持ちになっていたということらしいです。それが後ほどでてくる作品の鑑賞に多少影響があるという人がいます。それがどうなのかという話を後で考えたいですけれども。中也は文学を知った頃からだんだん成績が下降していたので地元で一番の中学やったんですがどんどん成績が下がっていって福岡の寺に預けられたりいろいろするんですけどやっぱり駄目で、京都の立命館中学に十六歳で転校するわけですね。そのときの京都にはいろんな人が関東大震災で東京におられへんようになって避難してきてたらしいんです。古本屋で『ダダイスト新吉の詩』という詩を見つけたというんですけど、そういう関係でその古本が流れてきていたんじゃないかという説があるそうです。ダダイズムに傾倒してダダ詩を書き始めるわけですね。その頃、富永太郎という詩人と知り合って、フランスの象徴詩、ボードレールとかベルレーヌとかを知るわけですね。京都で同棲していた長谷川泰子と二人で上京して小林秀雄なんかと親交を結ぶわけです。そして長谷川泰子が中原中也の元を去って小林秀雄のところに行く。小林秀雄と中原中也は友人だったので非常に奇妙なことになって、その後の中原中也の作詩にも影響を及ぼしていく。このことが人と作品ということでかなり重要なことになってくるということです。一応詩人みたいな感じになるんですけど親の仕送りとかで大体暮らしている。一日中街を歩き回ってなんか考えて、夜は友達のところに行って話したり酒を飲んだりとか、そういうことを二十歳過ぎまでやっているわけです。その頃「朝の歌」っていう詩を書いて、その後『白痴群』という同人誌を作ったりもしてるんです。大岡昇平とかそういった人たちと一緒に作って、そこに詩を発表したりとかしてるんです。一九三二年、二十五歳の頃ついに処女詩集『山羊の歌』を出したことによって認められたりするんです。そのころ結婚もしまして、子供が一歳ぐらいで死んじゃうんですね。それに非常に衝撃を受けて精神病院に入院したりしてます。それから鎌倉に一瞬住むんですけど、結核性脳膜炎を発病ということで三十歳ぐらいで死んでいる。没後一年ぐらいで小林秀雄に預けていた原稿が友達の手で刊行されて『在りし日の歌』が出た。「在りし日の歌」っていうのは中原中也が生きていたうちからつけていたタイトルです。
そうしたら中原中也を具体的に当たっていきたいと思います。「朝の歌」どうでしょうか。中原中也がこれにてほぼ方針が立ったと言った詩らしいです。詩には形式というものがありまして、これはソネット形式というそうでございます。途中で二字下げたりしてますが、これは中原中也の工夫みたいなんですね。
まずですね、意味を了解していきたいんですけど「天井に 朱きいろいで 戸の隙を 洩れ入る光、」これ、朱きいろいでえって大阪弁じゃないですからね。天井に朱き色が出ているってことです。戸の隙から洩れ入る光があるから天井に朱い色が出るわけじゃないですか。これ逆に書いてますよね。認識の順序なんです、寝てるときの。「鄙びたる 軍楽の憶ひ 手にてなす なにごともなし。」東京で一人暮らしの状況ですから、東京のワンルームマンションと山口の田舎の記憶、金沢かもしれませんが、あるいは脳内にあるイメージとしての記憶。手にてなすことって文字を書いたり物を作ったり、そういう仕事的なこと、手に職なんて言いますよね。暗い部屋に朝日が洩れてますわ、朝ですわ、でも俺今なんにもやってへんわ、俺の中で昔鳴ってたあの勇ましい音楽は今は遠いもんになってもうたなっていうことです。意味的に言うとどうしても解釈の方にいってしまうんでそういうふうに今は読みますけど、そうじゃないだろうみたいなことありますか。
Aさん:タイトルが「朝の歌」だけど、朝の光は朱いイメージがなくて、夕方なのに朝だと思っているのかなと思いました。
Bさん:朱き色いでじゃなくて、朱黄色いでというふうに読めると感じました。朱一色じゃなくて、朱黄色。
Cさん:「天井に」から始まっているので上を向いて目が覚めたっていうことですよね。もし横を向いていたら「戸の隙」から始まるってことですか。
とてもクリエイティブな読み方だと思います。僕は詩はそういうふうに読みたいんです。自分で読んでいくように読みたいんです。Cさんの質問もものすごい面白くて、詩とはなにかあるいは文学とはなにかという話に脱線していくことになるんですけど。そのときあいつはどうしてたかっていうのは実はあんまり関係がないんですよ。研究する人ってすぐね、ああいうやつやったから、ああいう事件があったからこの詩があったんやなってものすごい短絡的に結びつけるわけです。長谷川泰子に逃げられたからこういう詩ができたんですよって説明するわけですよね。でもよく読むとどうもそうじゃないぞと。もっといろんな原因と結果が交錯して、いろんな力で押し合いへし合いした結果、文章として詩として形になってくる。なかなかこの呪縛から逃れられなくてなんでってすぐ聞かれるんですけど、あまり関係がない。じゃあ作詩はどうやって生まれてくるのかという話をしたいんですけど、まだ意味の解釈のところで四行しか進んでない。一時間経って四行しか進んでないんで続きをいきたいと思います。でもこういう会にしたかったんでこういうふうな話になってとても嬉しいです。
「小鳥らの うたはきこえず 空は今日 はなだ色らし、」はなだ色っていうのは色名帳を見ると薄い水色。薄い水色の空って天気いいってことですよね。ああ歌は聞こえへん、なんか空は青いみたいやけどなってなってるわけです。このオンしていってない感。なんか半笑いで言ってるわけです。「倦んじてし 人のこころを 諌めする なにものもなし。」倦んじてしっていうのは倦怠してしまったようなってことですよね。それでここ「俺の」って言ってないんですよ、「人の」って言ってるんですよ。この俺が人にまで一般化していく中原中也の傲慢性。ここに着目してほしいんですねぜひとも。駄目なフリーターが寝て仕事ないだけで人のこころまでいくんですよ。なんかやる気ない俺の心を叱咤するようなものはなにもないねということですね、ここの意味は。
「樹脂の香に 朝は悩まし うしなひし さまざまのゆめ、 森並は風に鳴るかな」樹脂の香りが漂ってくるので朝は悩ましい、森は風に鳴っているんだなぁ。その間に「うしなひしさまざまのゆめ」というのを挟むことによって両方が生きてますよね。樹の香りが漂ってきて、俺にはいろんな夢があったんだけどなくなってしまった、ああ森は風に鳴っているんだなあ。衝突させてますよね。失った様々な夢と樹の香りと風に鳴る森、この三つを見事に合わせてます。
「ひろごりて たひらかの空 土手づたひ きえてゆくかな うつくしき さまざまの夢。」上を見たら広がって平らかな空、美しき様々の夢。それが土手づたいに消えていくということです。ものすごい視覚的なんで言葉で説明するのは難しいんですけど、ここはもう夢の話ですから。
Dさん:「さまざまのゆめ」というフレーズが二回出てくるんですけど、一回目はゆめが平仮名で二回目は漢字というのはどう解釈すれば良いのでしょうか。「ゆめ」という言葉に二つ意味があって、寝ているときに見るゆめと希望とかのゆめを平仮名と漢字で使い分けているんじゃないかなと思いました。
Eさん:恐らく最初の「ゆめ」を平仮名にしたのはボリューム的なところで文字数を少し増やしたかった。それに対して最後は「空」と「夢」をびちっと合わせてしまう。さすがに空まで平仮名にしてしまうとちょっとアホっぽくなるので。また違う質問ですが、読点を入れる必要あるのかなということと、入れるルールがよく分からないということです。
Fさん:句読点に関しては、作者からすると意図的にここで一つですっていうのを目で見たときに分かるように入れているのもあるなと思いました。「森並は風に鳴るかな」の後に読点があってもいいのかもしれませんけど、もしかすると最後の「さまざまのゆめ」までで一つの塊になるのかなと思います。
見た目的な印刷的な問題、それは中原中也は非常にこだわっていたところです。例えば本ののどに重なるときはこうやってねとかそういう指示もしていたみたいなんで、そういうこだわりはもちろんあります。それから朗読にもすごいこだわっていたようです。二字下げとか一字空きとか点とか丸とか、聴覚的なものと視覚的なもの両方あるなあという話なんですけどね。
Gさん:今気づいたことがあって、最初の「朱きいろいで」は目で、「うたはきこえず」は耳で、「樹脂の香に」は鼻で五感を順番に出して最後はうわっと広げているなと思いました。
確かにそうですね、すごいですね。それはまだ誰も解釈してないんじゃないですか。僕は今回この会でそういうふうに詩を読んでほしかったんです。こうやって一行づつ細かく味わって読んでいくと実はいろんなことがあるんです、詩人がやってることの中に。五感を上手く使ってたりとか、音を統一してたりとか、句読点を上手に配置してたりとか、今気がつかなかったようなこともある。実はこうなんじゃないですかってみんな言ってますけど、正解は中原中也に聞くしかないのか。そんなことないと思うんですよね。中原中也に聞いたら、ああ忘れましたねって言うと思うんです。みんな自分で勝手に読んでいって自分の中でイメージを広げていけばいいということです。中原中也研究っていう雑誌を出したりしている佐々木幹郎さんという人はこの詩をどう解釈したか読んでみるのも面白いと思います。どういうふうに読むかということをまさに僕らは中原中也に問われていると考えてもいいわけです。